事前に行ったテストでは幾つかの課題を残したが、レース参戦はそれを熟成させる過程になったのは言うまでもない。シリーズを通して戦ったマイスターカップでは、47GTが完成していく様子がよく表れている。
さて、まずはマイスターカップを簡単に説明するが、このシリーズの参戦資格はネオクラシックであれば国籍は問わず厳しいレギュレーションの規制もないので、個性あるレーシングモデルが集まる。例を挙げれば、カドウェル、ジネッタG12&G4、スーパーセブンなどが顔を連ねている。中でも戦闘力があるのは、フォーミラ・マシンの元経験者がドライブするアート・セブン、さらにFJの現役ドライバーが操るジネッタ陣。レースでは「打倒ハッピーロータス」を合い言葉に、毎戦47GTにバトルを挑んでくる強敵になっていた。
その“強敵”を初めに意識させられたのは、97年の10月19日に開催されたマイスターカップのプロローグ戦。翌年から本格的にシリーズ展開されるこのレースの参加車両を集めた、いわば顔見せのレースというわけだ。
そのため勝敗を気にせずにレースに挑んだが、それが甘かった。決勝はポールポジションからスタートして独走態勢を築いていたものの、ゴールまであと2週を切った時点で思わぬ展開を迎えてしまった。最後尾からスタートした、アートセブンが猛追撃をしていたようで、ファイナルラップでは真後ろまで迫っていた。
ピットで見守るクルー達も焦りを感じていただろうが、マシンのフロントタイヤは7週を過ぎた時点で限界に到っていたため、仕方のないことだった。事前のテストで課題になっていたタイヤの発熱がこの日も過剰に高く、コーナーはスピードを落とさなければ強いアンダーステアに襲われる状態であり、サーキットを周回するペースが極端に下がっていたわけである。
レースの周回数は全15週。したがってタイヤのグリップが低下する後半の8週を、どのように乗り切るのかが、このプロローグ戦で痛感した重要課題だ。もちろん、翌年から始まる本番シリーズまでに、何かしらの対策を必要にしていたのは言うまでもない。
しかし、その対策は難しいものではなかった。装着するエイボンタイヤは購入時にコンパウンドの指定も行うが、このメーカーの場合、実際に手元に届く商品がその注文内容と異なっていることが希にあるらしい。レース後の調べで分かったのだが、今まで装着していたタイヤは注文通りのコンパウンドではなく、よりライフの短いスーパーソフト。確かに“タレ”が速くて当然だった。この日のベストタイムは1分01秒712であった。
さて、年が明けた98年2月11日、マイスターカップのシリーズ戦がついに幕を開けた。フロントタイヤのコンパウンドも適正なバージョンを用意でき、47GTは本来のポテンシャルを取り戻した状態。しかも開幕戦では開発を続けていたクロスミッション&ファイナルギアが完成したことで、それを装着してのエントリーになった。
筑波サーキットのコースレイアウトに合わせたギア比を持つミッションため、当然、マシンとしての戦闘力も跳ね上がったことは明確。シフトチェンジの回数は増えてしまうが、コーナーにおいては、エンジンのパワーバンドを外すことのない理想的な加速が実現された。とくに、シフトアップを行わずにエンジンを引っ張って駆け抜けるダンロップコーナーの場面では効果的だ。コーナーリング中にエンジンが吹けきってしまう状態から解放され、パワーが詰まった回転域を有効に使い立ち上がることが可能になっている。
前回のプロローグ戦から一歩進化したその走り性能のお陰で、ベストタイムも1分1秒187をだせるまでに成長した。そのため、シリーズの開幕ではレースを有利に進行することができ、予選はポールポジション、決勝はスタートした直後から後続車に大きくリードを広げていきブッチギリの優勝を飾る結果を残せた。チャンピオン候補といわれていたライバル達の注目も一気に47GTへと集まり、前述した「打倒! ハッピーロータス」の言葉を、この時からパドックで耳にするようになった。
しかしながら、思いがけない出来事はレースに付きものだ。続く5月5日の第2戦は、決勝レースをトップで快走する途中でホイールナットが緩むマシントラブルによりリタイア。その次に出場した6月28日の第3戦でも、マフラーの内部に残ったメッキを行うときに使用する薬品が原因でマフラーが爆発したため戦列を離れることになった。
もっとも第3戦では、スプリングのレートをより高いものに変更する試みなどでサスペンションの熟成が進みつつあったため、さらなるポテンシャル向上を周囲にみせつけるチャンスが奪われた、その結果は少々残念。シリーズ争いについてもジネッタG12を操る藤沢選手が着実にポイントを稼いでしまい、この時点でのリーダーシップを取られる状況となった。
とはいえサスペンションが熟成の域にある47GTは、コーナーの立ち上がりにおけるトラクション性能に磨きがかかり、一段と積極的なアクセル操作を可能にしていたためシリーズのポイントリーダーに返り咲く確信を僕は抱いていた。そこで迎えた9月13日の第4戦では、その予想が的中。開幕レースの独走体勢を再び取り戻す走りで、表彰台のテッペンを獲得した。シリーズをリードする藤沢選手との差も2ポイントまで詰め寄り、チャンピン争いは最終戦に持ち込まれることとなった。