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この車両をご購入いただいた方に、過去にこのロータス22が掲載された雑誌(モーターファン・オートスポーツNo.6の表紙と掲載ページのコピー、CARグラフィック‘68-3月号、‘68-4月号、‘68-6月号、CARマガジンNO.373 2009-7月号)を差し上げます。
このロータス22は、1965年から2年間だけ存続した船橋サーキットがデモンストレーション用のレンタカーとして所有していた車両で、浮谷東次郎氏や生沢徹氏、浅岡重輝氏など有名レーサーがドライブした個体です。
船橋サーキットでは船橋CCCレースほか、2,3のレースに出場して活躍しました。
ロータス22は合計77台が生産され、この車両はシャーシ番号が22/R65/76と、最も後期に製作されたものです。
ロータス22のカテゴリーはFJですが、船橋サーキットが東急商事にオーダーした1964〜1965年の時点で、ヨーロッパではFJ規定からF3規定へ移行しており、この車両は純然たる22なのですが、ロータスがF3スペック(=ロータス31)で製作しており、エンジンはフォード116/120Eをベースとした997ccホルベイR65ユニットを搭載しております。
1965年に発売されたモーターファン・オートスポーツNo.6(三栄書房 刊)では浮谷東次郎氏が「F-3 LOTUS TYPE31船橋テスト・ラン」という記事を書いております。
船橋サーキットの閉鎖後、波嵯栄菩?(ボブ・ハザウェイ)氏が購入し、第4回日本グランプリのフォーミュラー・カー・レースに出場する為に、ハザウェイ氏と共にMGCC(MGカークラブ)初代会長の林博己氏が数カ月かけてレストア&チューニング作業を行っており、ホルベイがフォード・コスワースMAEをベースに仕立てたF3用997cc R65ユニットに、ダウンドラフト用に改造されたホルベイ製RDD型シリンダーヘッドを搭載し、ツインキャブに変更したのもこの時です。
レース結果は予選でのエンジントラブルにより、残念ながら決勝には出場できなかったようです。
この時の整備の詳細はCARグラフィック(二玄社 刊)に「ロータスF3と取り組む 著:林博己」というタイトルで1968年3月号、4月号、6月号の3回に渡り連載されており、ホルベイR65ユニットをはじめ、詳細な解説がされております。
第4回日本グランプリ以降の足取りはいまいち判然としていないみたいで、1968年日本グランプリ日本スピードカップにもエントリーしているのですが、予選を走行したかどうかは定かではないようです。
ハザウェイ氏は1968年からエランS3のレースに移行しており、22の活動期間は極短いものだったのではないかと推測されます。
その後、数人のオーナーの手を経て、前オーナーの茂木晃氏が所有していた時にCARマガジンNo.373 2009年7月号(ネコ・パブリッシング 刊)に「よみがえる船橋サーキットのロータス22」というタイトルで特集されております。
前オーナーの茂木氏、レストア&チューニングをした林博己氏、茂木氏と林氏の間を取り持った元ホンダ技研のデザイナーの佐藤允弥氏、このロータス22でレース出場経験のあるレーシング・ドライバーの浅岡重輝氏がスポーツランド山梨に集まり、船橋サーキットの閉鎖から42年が過ぎた2009年に、当時を知る人々が見守る前で再び22がサーキットを走った様子と、これまでのヒストリーが詳しく特集されております。
現在の状態は、ボブ・ハザウェイ氏が日本グランプリに出場しようとした時のスペックのまま動態保存されております。
このように、このロータス22はとてもヒストリーのある車両となります。
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